境界線の内側にあるもの

境界線とは何か

境界線とは人間関係の原則のことです。

自分と他者を区別し、自分が何者であるかを定義するもの。

そして「自分の責任範囲」を定め、他者との健全な関係を生み出す在り方。

  

なぜ境界線が必要なのか

 なぜ境界線が必要なのかというと、人は愛に満ちた献身的な人であろうとするあまりに、自分の限界を忘れてしまうことがあるからです。

 
「境界線(「自分の責任の範囲」と「他者の責任の範囲」)」の境い目があいまいなままでは、必要以上のことをしてしまい、自分のキャパシティを大きく超えてしまいます


それだけでなく、何でもしてあげることによって相手はあなたに依存しきるようになります


こうした状態では遅かれ早かれ行き詰まってしまいます。

私たちは互いに助け合い、互いに支え合うように造られているのです。


自分の限界を超えて無理やりがんばっていても、いつかは息切れします。

そしてある日突然、爆発してしまったり、疲れきってすべてが嫌になってしまうのです。

たとえ直接相手に不満をぶちまけなくても、関わりを避けるようになったり、イライラしたり、恨みがましく思ったりするようになるのです。

それでは、あなたが望む結果とはますますかけ離れてしまいます。

 

妻や夫、子どもたち、両親、同僚、友人たちと健全な関係を築くためには、「自分がすべきこと」「相手がすべきこと」「できること」「できないこと」を区別することが必要です。

区別ができるようになると、「自分ができることは精一杯やり、自分の力が及ばないことに関しては受け入れる」という生き方ができるようになります。

 

自分の責任の範囲とそうでないもの。その境い目が「境界線」です。 

 

境界線の原則を学び、それを生活の中に取り入れることによって、あなたの心は劇的にいやされます。

そして、お互いに相手を大切に思い合う関係を、他者との間に持つことができるようになります

境界線を引くことは自己中心的ではないの?

 他者に献身的であろうとするあなたは、「私は私、あなたはあなた」と責任を区別すると、「聖書が教える隣人愛に反するのでは」と考えてしまうかもしれません。


けれども人には、おのおのが担うべき責任があるんです。


それなのに、本人が負うべき責任を他の人が担うならば、その人を「自分のことも自分でできない未熟なままの人間」にさせてしまうのです。

自分の人生を生きてくれるのは自分だけです。

誰も自分の人生を代わりに生きてはくれないのです。


他者の責任の範囲内のことを代わりに行うのは、愛の行いではなく、相手をダメにする行為です。

  

聖書は、各自が担うべき責任と助けや支えを必要とすることとを明確に区別しています。

ガラテヤの信徒への手紙 6章5節

「めいめいが、自分の重荷を担うべきです。」

ガラテヤの信徒への手紙 6章2節

「互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。」

 

「めいめいが、自分の重荷を担うべき」(ガラテヤ6:5)。

ここでの「重荷」とは「手荷物(load)」のことです。
つまり、自分自身の内面についてや、身の回りのことをする、働く、学校に行く、友人や家族などに対する義務を果たすといった、自分自身が担っている責任のことです。

 

「互いの重荷を負い合い…なさい」(ガラテヤ6:2)。

ここでの「重荷」とは「重石」のことです。
つまり、一人ではおいきれない人生における大きな困難、経済状況における危機、健康上の深刻な問題、深い心の傷などです。

 

「境界線を引く」というのは、自分の「手荷物」は自分で持ち、手に負えない「重石」に関しては助けを求めるということです。

 

自分自身や人生に責任を持つ

 神は私たちに、自分の人生の責任を持つように求めておられる。

【聖書】
コリントの信徒への手紙Ⅱ 5章10節

「私たちは皆、キリストの裁きの座に出てすべてが明らかにされ、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行った仕業に応じて、報いを受けなければならないからです。」

自分の責任の範囲内(境界線内)にあるもの

感情、態度、信念、行動、選択、価値観、限度、才能、思い、欲望、愛情

感情

 感情は自分がどういう状況にあるのかを知らせるシグナル。自分の感情を扱えるのは自分だけ。自分で適切に処置する必要がる。

【聖書】
箴言 14章10節

「魂の苦しみを知るのは自分の心。その喜びにも他人はあずからない。」

態度

 神、他者、人生、仕事、人間関係への態度をどのように持つか。

【聖書】
ヨハネによる福音書 1章11~12節

「言は自分のところへ来たが、民は言を受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には、神の子となる権能を与えた。」

箴言 13章18、24節

「諭しをなおざりにする者は貧乏と軽蔑に遭う。懲らしめを守れば名誉を得る。」

「鞭を控えるものは自分の子を憎む者。子を愛する人は熱心に諭しを与える。」

信念

 自分が真実だと信じていること。

【聖書】
ヨハネによる福音書 3章16節

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」

行動

 行いには結果が伴う。種蒔きと刈り取りの法則。

【聖書】
ガラテヤの信徒への手紙 6章7,8節

「人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。
自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。」

選択

 主体性、自発性を持って生きる。自分の人生の手綱は自分が握る。他者に握らせてはならない。

【聖書】
コリントの信徒への手紙Ⅱ 9章7節

「各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。」

ヨシュア記 24章15節

 「『もし主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。』」

価値観

 自分が何を大切にしているのかを明確にし、優先順位を決めてお
 く。

【聖書】
マタイによる福音書 6章24節

「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

限度(制限)

 神も限度を定めておられる。天国は悔い改めた人たちのもの。私たちも限度を持つことが大切。

【聖書】
マタイによる福音書18章15~17節

「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。はっきり言っておく。
 あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」

才能

    自分に与えられた才能を活用する責任を果たすように神は言われている。

【聖書】
マタイによる福音書25章14~30節

「主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』」(23節)

「主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。」(26~28節)

思い

 自分の思いは自分にしか分からない。それゆえ自分の思いを伝える必要がある。察してくれるのを待つのは間違いである。

【聖書】
コリントの信徒への手紙Ⅰ 2章11節

「人の内にある霊以外に、一体誰が人のことを知るでしょう。」

考え

① 自分の考えを持つ

【聖書】
マタイによる福音書 24章4節

「イエスはお答えになった。「人に惑わされないように気をつけなさい。」

 

② 知識を学び、知性を広げる

【聖書】
箴言 3章13節

「幸いな者とは知恵を見いだした人/英知にあずかった人。」

箴言 4章8節

「知恵を尊べ、それはあなたを高める。」

③ 歪んだ考えを正す

【聖書】
ヨハネによる福音書 8章32節

「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」

欲望(願望)

 自分の願いや欲しいものを明確にし、それを求める。

【聖書】
マタイによる福音書 7章7~11節

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。叩きなさい。そうすれば、開かれる。誰でも、求める者は受け、探す者は見つけ、叩く者には開かれる。」
            (7~8節)

愛情

 私たちは神に似せて造られたので、愛し、愛に応答できる能力が与えられている。私たちは神の愛への自由な応答を求められている。

【聖書】
マタイによる福音書 22章37~39節

「イエスは言われた。「『心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の戒めである。
第二も、これと同じように重要であ
る。『隣人を自分のように愛しなさい。』」

 

まとめ

 境界線は他者との関係を円満にするために不可欠なもの。

人はしばしば、「それぞれが責任を負うべきこと」と「助けるべきこと」とを混同させてしまう


愛のためにやっているのに豊かな関係にならないのであれば、それは境界線が適切でない証拠。そのままでは疲弊し、行き詰まってしまいます。

現実を受け止め、「今の自分にできること」と「できないこと」を区別し、できる範囲内で他者を愛することが大切です。

 

私たちは「互いに助け合い、互いに支え合うように造られた」のです。

 

境界線をもって生きれば、より健全に他者を愛せるようになり、あなたと家族、友人、同僚との関係は円滑になるのです。

焦ることはありません。あなたの境界線は徐々に広げてゆけばよいのです。

 

Xにて

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