子育てのためには、ときに子どもを叱らないといけないと思える場面が訪れます。
ダラダラしていてぜんぜん勉強しないとき。
人に言ってはいけないことを言ったときや、やってはいけないことをしてしまったとき。
普通の注意では反省をうながせないときには、叱りつけることもあるかと思います。
そうやって叱りつけたとき、子どもから「お父さん(お母さん)だって!!」と言い返されることはないでしょうか。
今日はそんな場合の解決法についてのお話です。
私自身が身につまされた親のあり方を、美輪明宏さんが語っていました。
それは、
「親は、我が子を叱るのに資格が必要」
というのです。
どういう事かというと、親が子どもから尊敬されているかどうかで、叱りつけの受け止め方が変わってくるということです。
子どもは、普段のお父さんやお母さんの「生き様やモノの言い方、人格」をつぶさに見てきています。
そのため、お父さんやお母さんは尊敬できるなと思っているときに、注意されたり怒られたり殴られても、説得力があるので、自分が悪かったと受け止めて反省するというのです。
ところが、普段の親が「卑怯で下劣でだらしなくいい加減な」場合、子どもは軽蔑しているので、そんな親に叱られたり怒られたときには憎しみを募らせるだけだというのです。
もっともなことですよね。
自分が子供の時を振り返って見ても、親や先生が尊敬できる人の場合と、こんなふうにはなりたくないと軽蔑している場合とでは、説得力に大きな違いが出てきます。
人には注意するのに、自分は全然できていないいい加減な人に注意されたり怒られると、「自分だって!」と思ってしまいます。
我が子を持つ親は、子どものためにとついあれこれ注意をしたり叱ったりします。
自分ができていないことでも、子どもの明るい未来のためにとか、自分が出来なくて苦労したから注意した方がいい、と思って子どもを叱ったり怒ったりしてしまうのです。
ですが、残念ながら、そうした行いはすべてムダであるだけでなく、子どもに敵意や憎しみ、恨みを生じさせるだけになってしまうのです。
叱ったり注意するというのではなく、優しく教えてあげるという場合にもほとんど同じなのです。
誰も、自分が行いもしないような人の発言に素直に耳を傾ける人など居やしないからです。
親はついつい、自分の子どもだからと、子どもに対して勝手に優位性を持ってしまいます。
まるで自分が偉いかのように子どもに接してしまうのです。
けれども、それが間違いの原因なのです。
親になっても、まだまだ人間としては未熟な場合も多いのです。
これまでの人類の歴史を振り返ると、親が単独で子どもを育てるのは、異例のことなのです。歴史の中で、親が単独で子どもを育てる社会は、現代のほんのわずかな短い期間に過ぎないのです。
だいたいは、村の長老たちや祖父母の援助のもとで子育てが行われていたのです。
子育ても終えて、人生経験の豊富な60代以降の人々が、子どもたちに大切なことを教えたり、人生哲学を授けていたりしたのです。
しかし現代においては、そうした長老たちの力なしに、人間としてはまだ未熟な親たちが、我が子を教育しないといけないという、コミュニティや家族構成になっているのです。
本来は、子育てをする親も学びの途上にある人なのです。
それなのに、我が子にいっちょ前のことを言ってしまっては、「お父さん(お母さん)だって」と言い返されるのがオチなのです。
現代の子育ては、人類史上とても困難な時代なのです。
いわばムリスジな状況なのです。
人生経験が乏しく、人生哲学がまだ確立されていない60代未満の人が、我が子に人生を教えないといけないのですから。
美輪氏は、親が子どもを叱れる資格を持つくらいに立派であることを求めています。
たしかに、そうなれれば一番いいことだと思います。
しかしながら、結婚して子どもを授かった時点では、私を含め多くの親は、未熟な状態にあるのです。
もし、子どもを叱れる資格を持つほどの立派な人間になってから子育てしないといけないというのなら、ほとんどの人が子どもを育てることができなくなってしまいます。
美輪明宏さんが言っていることは正しいし、目指すことは私も大切だと思っています。
しかしながら現実問題として、そんな立派な人間にはすぐにはなれないのです。
そんな私たち現代の親には、子どもに人生訓を教えてくれる長老たちが必要なのです。
地域のコミュニティでは、関係性も薄くなっているので難しいでしょう。
けれども、「教会」ならばそれが可能なのです。
子育てを終えて人生経験豊富であるだけでなく、自分の品性を磨くことを実践している人生の先達がいく人もいますし、コミュニティ内の誰かを助けたいと思っているからです。
教会という同じ志をもっているコミュニティの中で子育てをすれば、親も自分の品性を磨きつつ、未熟な部分は人生の先達にカバーしてもらって子どもを育てていくことができるです。
私たちフェローシップ・コミュニティ教会では、そうしたコミュニティを目指しています。
皆さんの子育てが祝福されるように祈ります。